その日
13日の朝5時頃、携帯電話が鳴りました。Cメールが到着した事を知らせるものでした。最近はほとんどスパムが来ないので、どう考えても知り合いか伝言メッセージ到着を知らせるもののどちらかしか考えられませんでした。メールの内容を見ると、やはり後者でした。
伝言を聞く前に、着信履歴を調べてみました。2時間も前から家の電話、母や弟の携帯から着信していました。
「嘘だろ……」
嘘ではありませんでした。伝言メッセージを聞くと、父の容態が急変したのですぐに病院に来るように繰り返し入っていました。
慌てて着替えていると、弟から電話が入りました。
「すまん、今起きた」
『父さん危ないからすぐ来て』
「分かった」
物音で起きてしまったのか、友人が着替えていました。
「病院まで送るよ」
友人に送ってもらい、病院に到着しました。慌てず静かに急いで病室に飛び込みました。
「ごめん……」
酸素吸入器を付けた父は苦しそうにあえぐだけで、視線をこっちに向ける事はありませんでした。
抗ガン剤の副作用なのか、血小板が少なくなっているらしかったのです。そのせいで、少しの出血も止まらない状態だったそうです。
父は肺の中で出血したらしく、そのせいで呼吸が困難になっているようでした。ですが、モルヒネも投与しており、実際に痛みや苦しみは感じていないという話です。とてもそうは見えませんが、担当医の説明を信じるしかありませんでした。
近くのコンビニで買ってきたサンドイッチを食べ、親戚にも連絡を取りました。その間にも父はあえいでいます。母はもう少し楽にしてあげられないのかと担当医に頼みましたが、これ以上モルヒネを投与すると自発的呼吸を止めてしまいかねないとの事でした。最期ぐらいは自然に逝かせてあげた方が良いのではないか? との事でした。
父の一番上の兄家族が来る頃には、酸素飽和度が下がってきたのでマスクからだけではなく、鼻の穴に直接酸素の出るチューブを入れて呼吸を助けるようになりました。
「このまま夕方までこの状態が続きそうですね。それから先がどうなるかは……」
既に父の意識はないそうですが、それでも声を掛けてあげれば聞こえているはずなのでどんどん声を掛けて欲しいと担当医に励まされました。
ですが、それから何分も経たない内に父の呼吸がおかしくなりました。血圧がどんどん低下し、心電図もその波形の間隔が広がっていきます。苦しそうだった呼吸も弱く、ゆっくりになっていきます。そして……
頼りない長男で……
2005年3月13日11時4分、父はあっさりと逝っちまいました。
ひとしきり泣いた後、私たち家族は現実に引き戻されました。父の葬式の準備を始めなければならないのです。